甘味処

備忘録

善悪について考える

「ジョーカー」という映画を見ました。

タイトルを見て、この一文を読んで、あーなんだと拍子抜けする人もいると思います。
たぶん私も映画を見ていなければそう思っただろうし。
ジョーカーというキャラクターの存在は、「スーサイド・スクワット」で初めて認識したんですよ。「ダークナイト」も見ていません。色んな人の感想を読んで、近いうちに見ようと思いました。
この映画も、予告を見たときに興味は沸いたものの、当初は見に行かなくてもいいかなと思ってました。

日本で公開されて、話題になっているということを小耳に挟みました。こういうときにSNSを少なからず見ていてよかったなと思うよね。意識してなかったことについても、情報が流れてくるから。

「優しい人ほど見たあと鬱になる」という感想を見たんですよ。
それに賭けてみた、と言っても過言ではないです。

とても素敵な映画でした。美しくて、悲しくて。

善悪って何だろうね、っていう。
良い人を演じるのって案外簡単で、犠牲を伴ったとしても誰にだって出来ることだと思うのね。
でも自己犠牲ならまだしも、誰かを踏み台にしてるとなると話が変わってくるじゃん。
どれだけ成功を収めた人でも、過去に仲間を見捨てていたと聞かされると、途端にイメージが変わって、この人を讃えていいのだろうかと思ったりもする。
逆に、世間から批判されるような悪事を働けば、すぐ悪人になれる。
でもこの場合だって、例えば、自分を不幸にした人間を殺したいと言われたら、気持ちは分かると言えてしまうかもしれない。
「復讐は誰も望んでいない」なんて、綺麗事でしょ。

彼は、ジョーカーは、富裕層の男を3人殺したじゃないですか。
物語の中では、3人の死を悲しむ人々と、ジョーカーの行動を讃える人々と、大きく分けて2つの意見があって。
なんであの3人を撃つに至ったのか、知られていたらまた話が変わってたかもしれないけど、誰も知らないしね。
彼は生放送の番組で罪を告白した時に、自分のような貧乏人が死んだとて、同じような反応をするかって聞いてたじゃん。
偏見とか、メディアの取り上げ方とか、いろいろ含んでるんだろうけど。
善か悪かは、主観でしかないよねっていうね。
笑えるか笑えないかと同じでね。
ジョーカーは結局、恨みを抱いた人間を全員殺していって、その結果彼を擁護するピエロの群衆は、ものすごい盛り上がりを見せてたじゃないですか。
殺人を犯した人間が支持されている、という事実だけを見ると、おかしな世界線に見えても仕方ないけど、それまでのジョーカーの経緯を見たあとだと、正当化までいかなくても、納得は出来る。
不幸な幼少期を経て、迫害されて仕事も失って、そんな彼があれだけの人々に賞賛されている様は、輝いてすら見えて。
吐いた血を口元に塗りたくって笑顔を見せるところなんて、美しくて美しくて堪らなかった。
自分が、あのピエロたちの中の一人になる可能性が、ないとは言い切れないんだよね。

「優しい人ほど…」の話に戻るけれど。
なるべく周りの人には優しくしていたいなっていつも思ってる。余計なお世話になってる場合もあるだろうし、偽善と思われてる可能性だってあるけれど。
別にそれでいいと思う。だって事実だし。
良い行いをしていればいつか自分に返ってくる、ってよく言うでしょ。それを真に受けて信じてるってわけじゃないけど、人に優しくしてるほうが自分にメリットがあるとは思ってる。トラブルが起きにくいし、色々スムーズに出来るだろうから。
まあ、何にしろ、「優しい」の定義によるけれど。
小学生向けの標語みたいになっちゃうけど、自分がされて嫌なことはしない、くらいかな。ちゃんと決めていることと言えば。
結局のところ主観だから、全てにおいて正しいとは限らないよね。
自分では最善だと思っていたことが、実際はそうではなかったとか、そんなことは沢山ある。
それに、全ての人に優しくすることは不可能だし。大切な友達にお金を貸すことが出来たとしても、見ず知らずの人が困ってるところを助けることは出来ないと思う。勇気がない。見境なく人助けをして、自分に余裕がなくなることも怖い。何かと都合をつけて見なかったふりをしちゃうし、別の誰かが助けてくれるだろうとも思っちゃう。
だからやっぱり、偽善者と言われても仕方ない。自分にとって都合の良い優しさしか、実現できないもん。
偽善でいいじゃんね、とも思うけど。
やらない善よりやる偽善って、よく言ったもんだなって思っちゃうよね。

「優しいね」って言ってもらえることが少なからずあって、それは単純に嬉しくて。でも心の中で何となく、「この優しさはあなたのためというより自分のためにやっているんです」って言い聞かせてて。そこに、罪悪感を抱いてしまうことがあってさあ。重たいよね、ごめんなさいね。
優しい人でいたいんですよ結局。良い人だなって思われたいの。自分の印象が悪くならない方がいいじゃん。なるべく多くの人にさ!この人優しいなって!思われたいじゃん!わがままだけど!
だから、この映画が「優しい人ほど鬱になる」って言われてて、私は鬱になれるのかなって、確かめたかったんですよ。見てて辛い気持ちになったら、私は本当に優しい人だって、本当に優しい気持ちを持った人だって思えるだろうって。
で、結果どうだったかっていうと、多少は悲しくなったし落ち込んだけど、思ってたほどじゃないなって感じでした。それよりも、善悪とは、とか、優しさとは、とか、今の日本で言うとどういうことなんだろうとか、考え事ばっかりしてしまって、頭が痛くなった。
泣いたけどね、ほんのチラッと。
だからまあ、結局のところは、この映画で自分の優しさの度合いを計ろうとしたことにちょっと情けなくなったかもしれない。そういう話じゃないよ〜って突きつけられた感じ。
でもこれだけ色んなこと考える機会になったのは良かったし、映像として、物語としても面白い映画だから劇場で見て良かった。偽善でもいいやって、多少なりとも思えるようになったし。少しだけいつもより、気持ちが軽くなったかも。

これからも偽善者として過ごそうと思います。えへへ。