希望的観測に至った経緯
本当にやりたいことが沢山あるのに、全ての時間をそれに費やせないのが、嫌だ
— あんみつ (@weluvu_a) 2021年3月7日
こういう時期なので、新しい生活が始まったばかりという方も結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
わたしは基本的に、居心地が良い環境を見つけるとそこから動いたりするのが億劫になるタイプで、強制的に引き離されるとものすごく嫌な気持ちになるし、将来を考えるのが大の苦手なので、先が見通せないと必要以上に落ち込んでしまいます。なので必然的にこの時期はナーバスになりがちです。
今は多少落ち着くことができたんですが、ついこの前まで不透明な未来ばかり想像していて、自分の居場所が期限切れにでもなったかのように追い出され、新しいところへ向かわされることにひどく腹を立てていました。
ずっとこのままが良い、わたしは十分満足しているし、知らないものは怖いし、変に挑戦をして嫌な思いをしたくないからと、屁理屈を捏ねておりました。
見苦しいですね非常に、今思うと。
でも、あまり考え方は変わっていません。できればずっと、同じ環境が続いていてほしいし、あわよくば歳をとりたくないです。どう頑張っても、そんなことはあり得ないんですが。
少し変わったことがあるとすれば、向かいたい先を想像するようになったところです。こうありたいという姿を妄想するようになった、と言いますか、要は変身願望というか、現状を打破したいという気持ちが何となく芽生えてきました。
それに伴って(?)自分を俯瞰して、客観的に現実を捉えることができるときと、理想ばかり並べて、夢みがちになるときがあって、もちろん、どちらかと言えば後者が楽しいんですけど、厳しい状況を突きつけられるときがあります。
理想を語ることは決して悪いことではないですし、明るい話題に元気付けられるときもありますが、どうしてもそこから目を背けなければいけないときが身の回りに潜んでいる、という感覚があります。
じゃあ、どうすればいいんだろう、と立ち止まってしまうんですよね。
叶えたい夢や目標はあるが、その為にやりたいことだけやっていいわけではない、目の前には絶えず課題が現れ続けて、それをこなすことに時間を費やしてしまって気がつけば日が暮れている。それにふと気づくと、虚しくなって気力がどんどん無くなっていってしまいます。
ちゃんと道のりを調べて目的地へ向かっているはずなのに、歩けば歩くほど遠ざかっていくような気がするんですよね。あとは、そもそもゴールは存在するのかと疑い始めたりもします。ただの蜃気楼なのかもしれない、みたいな。
ここまで書いておいてアレですが、ずっとこの考えにはまり続けるのは相当まずいです。悩むことは良いことだと思うんですが、あまりにも悲観的だと、どんどん足を引きずられていきます。ソースはわたしです。
人間、本当にやりたいことがあるのに、それとは別の作業に時間を食われるという状態が発生しがちなのかな、と最近思いました。最初から全てが思い通りに動いて、全てのピースが一致して、尚且つ必要最低限あるいはそれ以上の生活を送ることができるケースはとてもレアで、そういう対象を羨ましく思うのは自然なことなんですよね。
才能を身につけた人、夢を実現させた人は必ず努力をしています。同じように道を歩み、桃源郷へ辿り着いた人、というイメージです。だから、自分にもきっと出来るはずなんです。ちょっと歩幅が違ったり、寄り道してしまっているかもしれないけれど。
夢に思っている時点で、達成までの道のりの途中に居るはずなんです。ゴールが遠く思えるかもしれないけれど、進んでいれば必ず辿り着く一本道に、ちゃんと立っているんですよね。
本当に、今までに比べて色んな事を楽観視できるようになったと思います。出来ることはどれだけ小さくても続けていこうと思えるし、目の前のハードルを超えることに力を注げるようになりました。
目標を具体的に持つことで、強制的に先行き不透明な状態から脱した、というのもありますが、自分の不安を言葉にできたのが一番大きいかもしれません。何となく不安でつらい、という状態が続いていたので。
まあそれでも、現状に不平不満はありまくりなので、これからもぐちぐち言いながら頑張ろうかなと思います。
なんか、こんな記事ばっか書いてるな。